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識者に訊く-介護の担い手不足、その「解」を探る

 2023年2月、肌寒さの残る中で、9日間に渡り、全国各地の介護関係者が集い、災害対応から働き方改革、デジタル活用のあり方に至るまで、幅広いテーマで議論を交わすハイブリッドイベントが開催された。介護の認識を変える一週間、と銘打たれたイベントの名称は「KAiGO PRiDE WEEK」- 介護に関わる各分野の専門家、10を超える都道府県の介護職、海外からはデンマークの介護関係者が参加したこのイベントを推進したのが石本淳也氏(熊本県介護福祉士会 会長・日本介護福祉士会 前会長)である。
 石本氏は2019年、介護業界に身を置く当事者から介護職の魅力を発信することを目的として、熊本県と熊本県介護福祉士会の共同プロジェクトであった「KAiGO PRiDO」の立ち上げに関わり、2020年には法人化、全国にその活動を広げてきた。
 石本氏は30年余りに渡って介護業界に身を置き、介護福祉士の国家資格が整備されて間もない時期より現場を見つめ、介護福祉士会においては介護職の処遇改善や養成課程の見直しの実現に力を入れてきた。
 介護事業所は常態化する人手不足にどのように向き合うべきか。医療界の一部より提案されているように、「リハビリ」をはじめとした新たな役割を介護福祉士が担うことは可能か。「KAiGO PRiDO」の活動への思いとともに、石本氏に聞いた。
(聞き手は Rehapoli編集長、村田)

石本 淳也(いしもと じゅんや)
熊本県介護福祉士会 会長、日本介護福祉士会 前会長(現相談役)。
1971年、熊本県八代市出身。
1992年、熊本市の特別養護老人ホームに就職したことをきっかけに介護業界へ。
2008年、熊本県介護福祉士会会長に就任(現職)。
2016年より日本介護福祉士会会長、厚生労働省 社会保障審議会 介護保険部会委員等を務める。
介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員。

■ 介護の世界で30年 - 導いてくれたのは「先輩の背中」

- はじめて介護の仕事をされたのは、「介護福祉士」の国家資格が設けられてから間もない時期だったそうですね。

 私が介護の仕事に就いたのは、「介護職」という言葉が使われるようになる前でした。無資格、無経験。飛び込んだ先の特別養護老人ホームで働かせてもらっていました。働いている方々の多くは女性で「寮母さん」と呼ばれていました。隔世の感があります。

- そこで人生を変える出会いがあった、と以前のインタビューでは仰っていますね。

 冗談に聞こえるかもしれませんが、当時は住むところもないような状況だったので、「飛び込み」、「住み込み」でこの仕事をさせてもらうようになってから、どうすればもう少し、周りから評価してもらえる人間になれるだろう、みたいなことを考えていたのです。
 そのときの先輩 - 今も「兄貴」的存在と思っていますが - には、本当にお世話になりました。
 「介護職」というより「社会人」としてのイロハを教えてもらったのが大きかったです。

- 「兄貴」の教えてくれた社会人のイロハ、とは。

 「兄貴」は、アパレルの世界から介護業界に飛び込んだ人でした。
 企業経験をお持ちなので、ビジネスマナーがしっかり身についている。
 その兄貴が、毎日ヨレヨレのジャージで仕事をしている私に、社会人としての基本を教えてくれたのです。身だしなみ、言葉遣い、名刺交換の仕方、電話の取り次ぎ方、全て教えてくれた。
 パリッとスーツを着て、介護業界以外でも通じるビジネスマナーやルールを教えてくれた「兄貴」は僕にとって憧れの存在で、「自分もそうならないといけない」と思うようになりました。当時の介護施設は、まだまだ若い男性の少ない職場でしたからね。

■ 介護業界の就職事情 - 30年を経て、「売り手」市場へ

- 介護の専門職として、介護福祉士を育てる仕組みが整えられていく時代を、現場から見てこられました。

 私が就職したころの施設は、女性の職員さんばかりでした。そこから、次第に後輩たち、若い男性職員も増えていきましたね。
 ちょうどその少し前から国家資格の制度の運用がはじまり、全国に介護福祉士の養成学校がワーッと広がったのです。そこを卒業した1期生、2期生が介護業界に送り出されたのが、平成3年(1991年)、4年(92年)頃です。
 そこから10年間ぐらいは、養成学校を卒業した新卒たちが、毎年地元の施設に就職するような状況が続きました。

- 介護の担い手不足が叫ばれる昨今、養成校も定員割れが珍しくないと聞きます。

 少子化が進んでいることもあって、介護福祉士の養成校も減ってきています。全国平均を見ても定員が5割を切っている。
 養成校ができて、最初の10年から15年は多くの学生が施設に就職した時代。どちらかと言えば「買い手市場」とも言える状況が続いた時代でした。新卒の子たちが面接を受けても落とされるような時代でしたから。

- 現在は、どこの施設も採用難に直面しています。

 非常に厳しい状況です。とは言え、養成校を卒業する人たちは毎年どこかに就職してる。 新卒採用は千載一遇のチャンスですよ、施設側からすると。
 今は「どうしたら辞めない職場をつくるか」にどこの施設も必死だと思います。それができない施設に若い人は来ません。
 養成校の学生は、先輩が就職したところに行くケースが多い。先輩が後輩に「自分が勤めているところはいいよ」と言えるかどうかが重要です。「先輩が就職したけど、すぐ辞めちゃった」というような施設に、若い人は就職しようとしません。LINEでも何でも、今は情報をいくらでも手に入れられますからね。
 魅力のある職場にしないと、そもそも人員を確保できなくなったのです。
 その点が、30年前と今との大きな違いです。

■ 介護職は、なぜ辞めるのか? - 「KAiGO PRiDO プロジェクト」に込めた思い

- ポートレート写真と当事者の言葉で介護職の声を発信する「KAiGO PRiDO」というプロジェクトに取り組まれておられます。

 真実を伝えて、「介護職」に対する偏ったイメージを変えることが目的です。介護職のブランディングのためのプロジェクトです。
 介護職はネガティブなところばかりが世の中に伝わっていると思うのです。
 医師や看護師の皆さんだって仕事はものすごく大変です。でも、社会にはその仕事のキラキラした、カッコいい部分もきちんと伝わっている。
 介護職だけが、やりがいのある、魅力のある部分が世の中に知られてないわけです。
 だから、見せ方を変えていく必要があるのです。
 そのために、KAiGO PRiDOでは、マンジョット・ベティという世界的に活躍しているクリエイティブディレクターが全国で介護職のポートレートを撮影し、一人ひとりに介護の魅力を自分の言葉で語ってもらった「嘘のない言葉」を添えて街中で展示したり、トークイベントを開催する取り組みを進めています。

- 「KAiGO PRiDO」のパートナーであるインド人クリエイター、マンジョット・べディさんは、日本の介護職の働きぶりを見て、「カッコいい(Cool !)」と仰ったそうですね。

 誰もが知っているハリウッド俳優や、ロナウドのようなスター選手を撮ってきた写真家のマンジョットが、おじいちゃん、おばあちゃんを笑顔にする日本の介護職の姿を見て、「It’s cool!」、「格好いい」と言ってくれた。同時に「すごく良い仕事をしているのに、自信なさそうにしているのは何故なのか」ともね。
 マンジョットのそういう気持ちから、全国の介護職のポートレートを撮影して展示するKAiGO PRiDO の活動が始まったのです。

- 「KAiGO PRiDO」の取り組みによってイメージが変わることで、介護職を目指す若者も増えるかもしれません。

 もちろん、KAiGO PRiDOのポートレートや介護職の生の言葉に接することで、介護業界を目指す学生さんが増えたら嬉しい。でも、それが一番の目的ではないのです。
 KAiGO PRiDOの一番の狙いは、働いている当事者である介護職が、自分たちの仕事に自信を持つこと、自分の言葉で語れるようになることなのです。
 そもそも介護業界で働いている人が、介護業界の悪口を言っていたら、若い人なんか来るわけない。
 介護業界にいる人間が「介護ってこんなにおもしろいぜ」とか、「世間が思うほど堅苦しくないよ」とか、こういったメッセージを発信することではじめて世間の偏見を払拭できる。その結果として、今、介護で頑張っている人たちが「憧れの先輩」になれるかもしれない。

- 国のパイロット事業として熊本から始まった「KAiGO PRiDO プロジェクト」も4年目に入ります。今後はどのような活動を。

 コロナが広がる前、2019年の段階では、海外に目が向いていたんです。イギリスやドイツでも、KAiGO PRiDOをやろう、もう少しグローバルな活動展開をしようと。そのほうが、日本国内でも、より関心を持ってもらえるだろう、と。
 今年の2月には初めて、海外とのジョイントでイベントを開催しました。デンマークとのオンラインイベントです。今後も、海外とできることを考えていきたいな、というのが一つ。
 KAiGO PRiDO としては、できるだけ早く、全都道府県でイベントを開催して、「点から線へ」、「線から面へ」、活動を広げていきたい。東京の中心部だけでやっても、何も変わらない。2月には富山、熊本、福島などの介護関係者を繋いで、オンラインイベントを開催しました。介護に関する共通のテーマで、語り合える仲間が全国で繋がり、増やしていきたいです。

■ 「リハビリの提供できる介護福祉士を」という新たな期待に対して

- 一部の医療関係者等から「リハビリの提供できる介護福祉士の養成を」という議論が出てきています。

 僕は以前、老健にいたとき、通所リハのセンター長を務めていました。大規模な通リハでしたので、リハビリ専門職の仲間も大勢いました。「さすが、リハ職だな」という場面をいっぱい見てきました。
 それに、リハビリ専門職の資格を持たない介護職でも現場でできる工夫を、ずいぶん教えてもらいました。
 リハビリテーションの知識を持つことで、現場のケアがこんなに変わるのか、と感じることは多かったです。

- 「リハビリの知識が役立った」と実際にお感じになったケースが、もしありましたら。

 例えば、人工骨頭を入れている高齢者の方に座っていただく際には、椅子の高さや屈曲の角度に注意しないと脱臼してしまうかもしれない。シャワーチェアの高さも、気を付けないといけない。
 身体の構造や障害特性について基本的な知識を持つだけでも、介護職はより安全な環境やケアを提供できるようになると思います。

- リハビリテーションの素養は、介護福祉士の仕事においても活きる、と。

 僕は介護職のベーシックな学びとして、リハビリの素養はあってしかるべきだし、なければいけないと思います。
 リハビリ専門職を目指すわけではないので、手技を覚える必要はないかもしれない。
 しかし、特に「在宅」に目を向けた場合、最低限のリハビリの知識は持っていないと駄目だと思います。
 施設や病院といった、周りに医師やリハビリの専門職がいて、カバーしてもらえる環境であれば問題ないでしょう。
 しかし、在宅の現場では、介護職が一人で利用者と向き合うことになる。特に訪問介護のようなサービスでは、リハビリの知識を持っておくことでスムーズにできるケアや、防げる事故が絶対にあります。

- リハビリの知識によって、ケアの質を高めることができる、と。

 「立つのが億劫だから嫌だ」という高齢者は当然いるわけです。本人が消極的でも、なぜ「立つ」ことが必要なのか。ご本人が、自分の喉が乾いたときに、テーブルの上の飲み物を取れるようにするためです。あるいは、ご本人が「トイレに行きたい」と思ったときに、行けるようにするためです。
 だから生活機能を維持することは大切なのですが、実際にリハビリ専門職の皆さんが高齢者の傍にいられる時間は限られます。一般的には、介護職のほうが長い期間、利用者に寄り添える。だから、介護職も自立支援の観点から、最低限のリハビリの知識は持っておいたほうが良いのです。

- 介護職がベーシックな学びとして、リハビリの基本的な知識を身につけることで、介護の質を向上させることができる、ということでしょうか。

 人手不足を補うために「介護福祉士に業務をスライドしてしまえば良い」といった類の議論だとすれば、「それは違うのでは」と思いますよ。
 だけれども、ベーシックな学びを高めて、結果として、介護職もリハビリについてコメディカルに近い知見を持ち合わせること。それによってケアの質を上げることには価値があると思ってます。

■ これからの介護人材の育て方 - 介護福祉士養成教育の未来

- これからの介護福祉士の養成のあり方については。

 先ほどのリハビリの話も含めて、養成教育にもう少し厚みが必要だと思います。
 介護福祉士の養成課程は実習を含めて2年、1850時間からせいぜい2000時間程度。リハビリ専門職や看護師は3年、医師は6年、社会福祉士も今はほとんどが大卒です。この知識のギャップを少しでも埋めないといけない。

- 多職種協働をスムーズに進めるためにも、基礎教育に厚みを持たせるべきだ、と。

 地域包括ケアを進めるためには、介護福祉士も他の専門職と対等に話ができないといけない。そのためには他の専門職との知識のギャップを小さくしていくことが必要です。
 基礎教育を充実させると同時に、介護福祉士もより一層の専門性を持てるようにするのが望ましいと思っています。
 リハビリへの理解が深い介護福祉士や、デジタルに強い介護福祉士がいても良い。日本慢性期医療協会が「医療介護福祉士」という資格の認定を以前行っていましたが、そういった専門性を評価する、そのための学びの機会が増えても良いのかもしれません。
 現職の介護福祉士向けにも、リ・スキリングと言うべきか分かりませんが、よりケアの質を高めていけるよう、研修などの機会を増やしていくことが大切だと思います。我々も認定介護福祉士研修などに積極的に取り組んでいます。

(編集協力=藤原昇平)

石本淳也 熊本県介護福祉士会 会長・日本介護福祉士会 相談役
村田章吾 Rehapoli 編集長

慶應義塾大学法学部 卒東京医科歯科大学大学院 修士課程修了(医療政策学)
大学院在学中、シンガポール国立大学、ハーバード公衆衛生大学院に留学
パブリックアフェアーズファームであるマカイラ株式会社を経て
2022年、株式会社Rehab for JAPANに入社
シンクタンク部門のオウンドメディア Rehapoli 編集長を務める
社会福祉士(東京社会福祉士会所属)