識者に訊く- 明日のデイサービス経営を考える。
2024年1月22日、社会保障審議会 介護給付費分科会(厚生労働大臣の諮問機関)において令和6年度介護報酬改定案が審議され、了承された。今後3年間の介護保険サービスの方向性を決定づける分科会の議論をリードしてきた一人が、民間介護事業推進委員会の代表委員を務める稲葉 雅之氏(伊豆介護センター 代表取締役)である。
介護保険制度の本格施行の迫る1996年、稲葉氏は伊豆介護センターを設立し、今日までに9ヶ所の通所介護事業所(デイサービス)を含む13施設、300名の従業員を擁する介護サービス事業者へと育て上げるとともに、社会保障審議会の委員等として、長く我が国の介護政策の検討に関わってきた。
四半世紀に渡り、時に官民の狭間に立ちながら介護保険サービスの確立に取り組んできた稲葉氏に、創業から今日に至るまでの道のりを振り返ってもらいながら、これからのデイサービス経営のあり方について語ってもらった。
(聞き手は Rehapoli編集長、村田)
■ 発想の原点 - 哲学書と、100種類のアルバイトと
- 現在は介護経営の第一線に身を置かれてますが、学生時代は哲学を学んでいたと聞きました。
高校時代、サリンジャーというアメリカの作家が大好きでした。サリンジャーの本はほとんど読みました。ただ、サリンジャーはキリスト教の知識がないと、面白さが十分に理解できないだろうな、と感じていたのです。それで大学に行くなら、宗教や思想について幅広く勉強してみようと思いまして、文学部に進学しました。友人たちが皆、経済やら法律やら、そういったことを勉強する学校に進む中で、僕ひとりでしたね。
- 学生時代の学びは、今の仕事にも役立っているとお感じになりますか。
哲学というのは、大きなもの、例えば神のような超越的な存在から教えがスタートするものではなく、論理性を追求する学問ですから、経済でも、政治でも、法律の世界でも、どの世界で仕事をする上で役立つと思いますよ。
- 具体的にはどのような点で、影響を受けましたか。
わかりやすいもので言えば、イギリスの哲学者ヒュームが語った「共感の原理」です。何事でも正しいことを実現しようとすれば周囲の「共感」が不可欠です。このことはいつも意識しています。もう一つ挙げるとすれば、「進化論」です。学生時代、世の中の人間の言動の全ては、進化論で説明できると考えたのです。環境が変わる中で、将来の方向性を考える上で、進化論を知ることは非常に役立ちます。
- 一方で、多くのサービス業を経験されたと聞きました。
入学してみると、大学の授業がとにかくつまらなかったのです。それで、学校にはあまり行かなくなりました。それからは、ひたすら本を読み、アルバイトをする日々でした。
アルバイトは100種類やりましたね。高校時代にアルバイト情報誌のCMで「アルバイト100種類」というキャッチコピーを見まして、「犬洗い」とか、面白そうな仕事が目の前にあったわけです。いろいろな人と出会える、珍しい仕事を体験できる、これは学生でないとできない経験だと。就職とは違って期間も決まっているので、楽しかったですね。
- さまざまなサービスの現場を見て回ることは、ご家族の会社について考える機会にもなったのではないでしょうか。
会社経営と一口に言っても、いろいろな考え方があります。とにかくお金儲けという経営者もいれば、社会的使命というのでしょうか、事業が安定して運営できるならそれで良しとする人もいます。何を大切にするかは、それぞれの経営者の自由なのですが、お金儲けばかりを考える経営というのはそもそも難しいと思います。人が欲しいもの、望むもの、必要とするものを提供しないと、そもそも事業は成り立ちません。
■ 伊豆介護センターの原点 - 戦争を生き延びた女性たちに仕事を
- 創業の経緯についてお聞かせいただけますか。
祖母が戦後、家政婦の紹介所を設けて、ほそぼそと続けていたのです。終戦後、看護師であった祖母が、「自立して生きていきたい」という女性たちのために始めた事業だと聞いています。静岡でも老舗の紹介所で、祖母、母と親子二代で続けていたのです。
介護保険が始まる前、私は東京の商社に勤めていたのですが、母との間で「家政婦紹介所を今後どうするのか」という議論がありました。介護保険が始まれば、家政婦の仕事はなくなりますから。最終的には、介護サービスを提供するために新しい会社をつくり、軌道に乗せてから事業を統合することにしたのです。伊豆介護センターが紹介所を吸収できたのは、ごく最近のことですけどね。
- 伊豆介護センターでは、理念として「インフォーマルサービスの有効利用」を謳っています。
当社では介護保険がスタートする前から、民間企業としてホームヘルパーの派遣サービスを提供していました。措置制度の時代ですから、国からの補助はなく、コストを切り詰めて展開していた完全な民間サービスだったのですが、「本当に必要とされるものを、自由に作りたい」という反骨精神のようなものが根っこにありましたね。ニーズもありました。
ただ、サービス単価は低く抑えざるを得ず、多くの社員を養えるような規模にまで事業を成長させるのは難しかった。2000年から介護保険サービスが始まることが分かっていましたから、頑張って続けましたけどね。そういった経緯もあって、今も「インフォーマルサービスの有効利用」を方針の一つとしています。
- 現在では伊東市を中心に、13の施設、300名近い職員を擁する企業となりました。
私自身は「とにかく事業を拡大したい」とは思ったことはありません。創業後に、グループホームや小規模多機能を開設しましたが、これはそれまで伊豆半島になかったからです。「この地域でも必要だろう」ということで新たに設けましたが、自社だけで広げようとは思いませんね。
■ 居宅介護を代表して社会保障審議会へ - 多様な声を背に
- 介護給付費分科会の委員をお務めになってます。各種の「加算」を含め、介護報酬のあり方について、事業者からの要望や意見をお聞きになることも多いのではないでしょうか。
基本報酬はともかく、特定の「加算」を引き上げる、といった話になると、全体では何かが切り下げられることを意味します。多くの事業所が取得できそうな加算であればよいのですが、要件が厳しいものに関しては、取れない事業所も出てくる。今の加算の中には、複雑な事務処理を求められるものもあります。事務処理コストを懸念して、加算取得をあきらめてしまった事業者もたくさんあるのが現状です。
- 居宅の事業者の間でも介護報酬のあり方については、様々な意見がありそうですね。
一口に事業所と言っても、規模も、力を入れているサービスも異なります。そうなると、取得率に偏りが生じるであろう加算を手厚くするよりも、基本報酬の引き上げを求める声が大きくなることはあり得ます。多くの事業所の将来がかかっているわけですから。取得しやすい要件の加算であれば、「もっとしっかりやるべきだ」という議論でまとまりやすいかもしれません。
■ デイサービスを巡る論点の今後 - 大規模減算・複合型サービス・LIFE
- 今回の介護報酬改定では、通所・訪問の複合型サービスの導入や、大規模減算の見直しといったデイサービスの将来を大きく変える可能性のある議論も見られました。
大規模な事業所の基本報酬を引き下げる、いわゆる大規模減算については、根拠が何なのか、見えにくくなっていると思います。人手不足への対応、生産性の向上、職員の処遇改善、こういったことが求められている状況を考えると、スケールメリットを活かした経営を否定するようなことは、基本的にはすべきでない。「大規模はサービスの質が下がる」との見方もあるようですが、明確な論拠は示されません。
- 複合型サービスの議論も続きます。
あまり知られていませんが、通所と訪問の複合型サービスのような議論は以前もあったのです。ただ、関係者のコンセンサスが得られる制度設計をするのが難しい。
通所と訪問を一体にすれば、事業所は管理業務のコストを節約できます。通所も訪問も同じ職員が担当する形になるので、利用者の安心感も増します。利用者、事業所、国、それぞれにメリットのある考え方ではあります。大規模型かつ複合型でのサービス提供が可能になれば、インパクトは大きい。
ただ、反対意見もありますし、創設は簡単ではないと見ています。仮に今後、複合型の制度ができたとしても、どの程度の事業者が参入するかは、報酬の水準や職員の配置基準によって大きく変わるでしょう。
- データに基づく科学的介護を進めよう、という流れも強まっていますが、現状、デイサービスでは科学的介護情報システムに関連する加算の算定率が伸び悩んでいます。
数年前であれば、LIFEが今後も続くのか「不透明だ」という声もありました。しかし、もはやこれは政策的な大きな流れになっている。国の「LIFEをしっかりと育てていく」、「データを活用して介護の質を向上させる」という方向性は今後も変わらないと思います。ですので、LIFEには早めに対応した方が良いと思っています。
ただ、データ入力の負担を軽くしてほしいという声は非常に大きい。国には、もっと使いやすいものに変えていってほしいですね。
■ 自立支援・重度化防止 - 利用者の楽しめる時間に
- 伊豆介護センターでは、機能訓練の提供に際して、「利用者に楽しんでもらうこと」をとても大切にされていると伺いました。
転倒をきっかけに寝たきりになってしまう、そういった状況を防ぐ上で、筋力や下肢の機能を維持することは重要です。けれどもシンプルな筋力トレーニングだと、効率的ではあるものの、面白さを感じない利用者もいると思うのです。ですので、当社では球技の要素を入れるような工夫をしています。
これは、職員のやりがいでもあるのです。施設を運営していると、利用者に「ありがとう」と言われる喜びを原動力に頑張っている職員が多いことを痛感させられる。高齢者の喜ぶ顔がみたい、という人間が非常に多い。ですので、機能訓練の提供でも、利用者に楽しんでもらうことを大切にしています。
- 「ADL維持等加算」をはじめとする、自立支援・重度化防止を促す仕組みの今後については、どのようにお考えになりますでしょうか。
公的につくられた介護保険制度の趣旨を考えれば、ADLの維持や改善という要素が入ってくるのは当然のことです。「生きていくこと」を目指す方向に間違いなどない。ただ、自立支援を考える上で難しいのは、何が「幸せ」なのかというのは、人それぞれ異なるという点です。
元気になるに越したことはない。ただ、機能訓練を受けても100パーセント、利用者が元気になるとは断言できない。同じだけの時間を、違う活動に投じた方が「幸せだ」と感じる利用者もいるでしょう。
例えば、飲酒は健康に悪いという見方もあるけれども、「お酒が最大の楽しみ」という高齢者に対して、強制的にお酒をやめさせることの是非に対する正解があるのか。そんな問いに近いかもしれません。
利用者一人ひとりに、健やかで、幸せな時間を過ごしてもらいたい。そのために、どの程度まで機能訓練のようなサービスに時間を割くべきなのか、悩ましいところです。
■ 介護DXの道筋 - 「質を上げる」ためのデジタル化を
- 昨年、介護保険法に「生産性の向上」の文言が入りました。しかし、介護保険には人員配置基準があり、デジタル化を進めても、コストダウンの難しい構造になっています。
ICTサービスも普及しないと単価を下げられないでしょうし、まず施設に使ってもらうために、国に頑張ってもらわなければならないところはあります。
介護の世界では、反対されやすいテーマであることも確かです。一方で、伸びてくれないと困る分野でもある。
ICTを提供する側も「どの程度、コストを節約できる可能性があるのか」という点を、もっと具体的に示してもらいたいと思います。ICTもタイプによって、介護サービスの質を上げることに寄与する製品もあると見ています。
人手不足への対応で「やむを得ず使う」ツールとしてではなく、介護の「質を向上させる」ツールとしての説明が聞きたいですし、それが可能な製品もすでにあると思っています。
- デジタル化を進めるためには、人員の配置基準を緩和することが重要、という議論が以前からありますが、この点については、どのようにお考えになりますか。
そもそも、日本では「これだけの負担で、これだけの福祉を築こう」ということが示されていないのです。スウェーデンやフィンランドとはそこが異なる。「中福祉」という表現もあるけど、どの程度が中福祉なのか、明確にはされていない。いまの介護保険の基準ありきで議論するから、「配置基準を緩和すると質が下がる」という話になってしまう。
コンセンサスをつくるのが難しい部分だとは思いますが、介護報酬の議論では、負担も含めた「目指す介護の水準」が示された上で、配置基準も含めた「サービスのあり方」が議論される、というのが本来は望ましいのだろうと思います。
■ デイサービスの明日 - 「個性」が強く求められる時代へ
- デイサービスは増え過ぎた、という「供給過剰論」があります。競争も激しくなる中で、デイサービスが生き残っていくための戦略について、どのようにお考えになりますか。
「個性を出す」ということが、これまで以上に大切になると思っています。現状では、どのデイサービスも、やっていることが似通っている。「どんなことをやっているか」で人を呼べる可能性の残っている分野だと思います。
20年前に比べて、事業所が増えたことで、利用者が自分の意思で施設を選ぶという傾向が強まっています。だから、個性のあるサービスの提供が重要になってきているし、それができるリーダーの重要性が増しています。
ただ、今はそういった管理職も含めて、職員を確保するのが大変なのですが。
- 実際に経営をされている立場で、「将来はこんなサービスを提供したい」とお考えのアイデアがあれば、是非お聞かせください。
規制による制約を横に置くなら、これからは「半日未満」のデイサービスというのも考えられると思います。利用者の中には「2時間だけ利用したい」というニーズもある気がします。例えば、デイサービスでは2時間だけ集中して利用者にサービスを提供し、その後は買い物に出かけてもらう。
介護度が高まってくると、どうしても施設内での時間が長くなりがちです。だから、軽度のうちから短時間、デイサービスに通ってもらい、外出のきっかけにしてもらうのは意味があると思っています。そのようなサービスがあっても良いのではないでしょうか。