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識者に訊く「介護DX」 - フィンランドが描く、高齢者ケアの未来

 フィンランドの首都、ヘルシンキ市-人口64万人のこの街は、介護DXの先進都市としても知られる。急速な少子高齢化に直面するフィンランド最大の都市による取り組みから、日本が参考にできることは何か。フィンランドにおける介護DXの取り組みに早くから注目し、ヘルシンキ市の取り組みについて調査を進めてきた千葉商科大学の齋藤香里 教授に聞いた。
(聞き手は Rehapoli編集長、村田)

齋藤 香里(さいとう・かおり)
東洋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。
著書に「ドイツにおける介護システムの研究」(五絃舎)。
第21回(2012年度)国際公共経済学会賞受賞。
千葉商科大学商経学部専任講師、准教授を経て、2021年より同教授。
専門は社会保障・財政学。

■ ヘルシンキ市、「介護DX」を促した自然環境

- 先生は、経済学の視点から介護をテーマとした研究を続けておられます。ヘルシンキ市の取り組みに関心を持たれたきっかけについてお聞かせください。

 介護は世界各国が直面している問題ですから、それぞれの地域で様々な取り組みがなされています。いろいろな工夫や知恵、技術などを学び合い、人々が幸せになる方法を模索することが重要だと思っています。日本ではドイツなどの事例が紹介されることが多い印象がありますが、ヘルシンキ市の取り組みも世界で注目されています。
 ヘルシンキの取り組みが示唆する通り、デジタルトランスフォーメーション(DX)は、介護現場での諸問題の改善や解決に寄与すると考えています。

- 先生の論文からは、フィンランドが介護DXに非常に積極的に取り組んでいるという印象を持ちました。どのような背景があるのでしょうか。

 多くの人はきっとフィンランドに対して、高い教育水準を誇る国、ムーミンを生んだ国などというようなイメージを持つかもしれません。
 しかし、フィンランドは過酷な冬、マイナス30度という寒さに加えて、日の出が朝の9時半という日照時間の短さに耐えながら生活をしなければならない国です。
 この「寒さ」や「日照時間の短さ」というのが、フィンランドの介護DXの取り組みの背景にあります。その中で際立つのが遠隔介護です。
 この過酷な環境を背景に、介護現場のトラブルを解決するために、手探りでいろいろなことを試してきて、その結果が現在のヘルシンキ市の遠隔介護の実装につながっているのです。

- フィンランドは介護DXを、CO2削減という環境問題への対策としても見ていると伺いました。

 厳しい冬に、雪の中での移動をどのように減らしていくのか、というのが当初の問題意識だったそうです。
 結果として、遠隔介護の普及によって、自動車での移動を減らすことになりました。
 もともとSDGsや環境問題に関心の強い国柄であることもあって、遠隔介護によって「車の利用を1200km削減した」といった試算まで、成果として示されるようになったのだと思います。

■ ヘルシンキ市の介護DX:高齢者の「セルフケア」を支える

- 先生の論文から、ヘルシンキ市が「電話」と「ビデオ通話」を使い分けながら、介護サービスの遠隔化に取り組んでいる印象を受けました。

 電話を利用したサービスの代表的なものとして「安心電話サービス」という取り組みがあります。
 高齢者には「アラーム付きのリストバンド」あるいは「GPS付きのスマートウォッチ」のどちらかが手渡されます。利用者がアラームを押すと、市のコールセンターの担当者が電話で連絡を取り、看護師を現場に行かせるべきかの判断をします。
 私が現地に行った時期の数字ですが、コールセンターへの連絡は毎月1万件を超え、うち1千件程度はスタッフの訪問によって対応しているとのことでした。利用料は当時で月額54ユーロと聞きました。

ヘルシンキ市「安心電話サービス」
高齢者に手渡されるバンド付きブザー

- 高齢者への「自動照明装置の提供」というのも特徴的ですね。
 
 ヘルシンキの冬は、日照時間が短く、暗い。
 加えて、認知症の高齢者の中には「電気をつける」ということのできない方々もいます。そういった高齢者の方々は、ケアをする人がいないと、朝になっても、周囲が明るくなる9時半頃まで、ずっと暗い部屋の中で横たわっている、という状況になりかねない。
 そこで、認知症や記憶障害を抱えている方々への対策として、ヘルシンキ市では朝になると自動でライトがつく、自動照明機器を提供しています。

在宅高齢者への「自動照明装置」提供
照明は高齢者の認知機能に影響を与えるとされる

- 服薬支援では、高齢者が服薬を忘れると、自動的にセンターに通知が届くシステムが導入されていると聞きました。

 薬をきちんと飲む、ということはとても大事なことです。
 一方で、ヘルシンキ市の冬は、本当に寒い。マイナス30度という世界ですと、冬用の片方の靴を脱ぐだけでも5分かかる。そんな状況なので、高齢者の方々、一人ひとりのご自宅に服薬管理のために訪問するだけでも、大変な時間がかかってしまう。
 スタッフも確保できない。
 そういった課題に直面して、服薬支援機器の提供というのが始まったと聞いています。
 この装置に2週間分の薬をセットしておきます。そして、利用者は薬を服用した後、ビデオ通話でコールセンターの看護師に「薬を飲んだよ」と伝えることになっています。高齢者が薬を服用しなかった場合は、自動的にヘルシンキ市のサービスセンターに通知される仕組みになっています。その場合はセンター側から高齢者に電話が入ります。
 移動の難しい冬に対応して、医療スタッフの居宅訪問が減っても、遠隔から服薬管理のできる仕組みを整えたのです。

-在宅の高齢者に対して、服薬支援機の提供と、「看護師の遠隔相談」をセットにすることで、効果的な支援が展開できているという印象を受けます。

 在宅の高齢者にはタブレットも提供されていて、利用者はオンラインで看護師に服薬の報告をします。薬の袋を見せながら「飲んだよ」と。その上で、その日の体調のことも含めて、看護師に相談できるわけです。

- フィンランドの服薬支援装置は、認知症の患者でも利用できると聞きました。

 現地で「認知症の方の服薬支援もできるのか」と質問したら、「毎回、驚きながらも薬はきちんと飲んでいる」と仰ってました。
 認知症の患者さんであっても、服薬支援機の指示には従ってくれるケースが多いと聞いています。

高齢者への「服薬支援機」提供
服薬データは市に自動的に送信される

- 血糖値の管理についても、データを自動で送信できる機器と、看護師の遠隔相談を組み合わせる形で、支援を提供できていると聞きました。

 高齢者は検査機を使って自分で血糖値を測るのですが、そのデータが自動的にセンターに送信されるのです。血糖値を測定した後に、看護師とのビデオ通話で状況を伝えて、不安なことがあれば相談することができます。
 この遠隔からの血糖値検査のサポートについて日本で講演をしたとき、糖尿病患者の方々がすごく感動されていました。

高齢者は血糖値を自宅で測定
データは市に自動送信される

■ ヘルシンキ市の介護DX:「交流」と「リハビリ」も、オンラインで

- オンラインで提供されている支援には、他にどのようなサービスがあるのでしょうか。

 ヘルシンキの方が「やってみたら意外と好評だった」と言っていたのが、「オンライン食事会」です。
 もともとヘルシンキでは高齢者への配食サービスをやっているので、利用者は皆、同じメニューの食事を食べることができるのです。
 しかし、配食をしても一人暮らしだとあまり食べない、食の細い高齢者の方々がいるわけです。そういった、あまり食べてくれない高齢者を集めてトライしてみた、というのが「オンライン食事会」サービスの始まりだったそうです。

- リハビリテーションや運動に関する遠隔サービスもあるのでしょうか。

 私がヘルシンキ市に行った際には、体育館のような施設に数名の高齢者が集まっていました。インストラクターが運動指導をすると、それがオンラインで配信され、在宅の高齢者も運動プログラムに参加できる、といった内容のサービスでした。

ヘルシンキ市「オンライン運動プログラム」
オンラインインタビューにて齋藤教授より説明

■ 社会保障財政へのインパクト:介護DXによる介護サービスの生産性向上

- デジタル化には「生産性の向上を実現する」というイメージがあります。ヘルシンキ市の場合はどうだったのでしょうか。

 ヘルシンキ市では、遠隔介護の導入によって990万ユーロ(約15億円)のコスト抑制効果があったと試算しています。
 これまで訪問でのみ対応していたサービスを、オンラインに切り替えることで削減できたコストを積み上げて試算した数字だと聞いています。一軒一軒、高齢者の自宅を訪問しなくても、服薬支援などができるようになったことの結果であると。

■ 「介護DX」の条件:情報通信インフラの側面から

- フィンランドのように介護サービスの遠隔化を進める場合、何かインフラ面での整備も必要となるのでしょうか。

 ヘルシンキ市で遠隔介護を導入できたのは、5Gのインフラが整備されたからだという話を耳にしました。フィンランドでも通信インフラの整っていない地方では、導入できていないのです。「あのエリアは電波が弱いからダメなんだ」といったことを仰る方もいました。
 日本の場合も通信環境を整えるのが急務だと思います。どこでもWi-Fiが繋がり、通信コストも低い、という環境ができないと、介護サービスのオンライン化は簡単には進まないでしょう。

■ 欧州の介護政策から学んだ「失敗を許容する」カルチャーの大切さ

- 研究者として欧州における取り組みは、日本の介護政策にどのような示唆を与えるものだとお考えでしょう。

 例えば、フィンランドやドイツの行政を見ていると、民間からあった提案でも「良いじゃないか」という話になると、まずはトライアルでやってみるわけです。
 実際にトライしてみて、ダメなら半年で終わらせることもあるし、良ければ改善しながら続ける。
 日本の場合は、介護の領域でも「エビデンスがあるのか」といった論点をきちんと固めてから実行することが好まれるように感じます。トライアルを許容しない空気が強い印象があります。
 介護の遠隔化のような新しい公共サービスを創る上では、民間と行政が一緒にトライして、実験を重ねる。一緒に改善に取り組み、一緒にサービスを作り上げていく。そういったやり方が望ましいと思いますね。

(編集協力=藤原昇平)

村田章吾 Rehapoli編集長
慶應義塾大学法学部 卒 東京医科歯科大学大学院 修士課程修了(医療政策学)
大学院在学中、シンガポール国立大学、ハーバード公衆衛生大学院に留学
パブリックアフェアーズファームであるマカイラ株式会社を経て
2022年、株式会社Rehab for JAPANに入社
シンクタンク部門のオウンドメディア Rehapoli 編集長を務める
社会福祉士

参考文献:

  • 齋藤香里「ヘルシンキ市における遠隔介護の現状」『CUC view & vision
    号 50』p.102-109, 千葉商科大学経済研究所, 2020年10月31日

  • 齋藤香里「グローバル時代の海外福祉事情 vol.12」『月刊福祉』p.86-89, 全国社会福祉協議会出版部, 2022年5月

  • 齋藤香里「グローバル時代の海外福祉事情 vol.13」『月刊福祉』p.84-87, 全国社会福祉協議会出版部, 2022年6月